型の紅茶茶碗を膝に置いて落とさないようにバランスをとりながら作法にうるさいコンパイラおばさんと会話する必要がある言語を使うメリット
ぼくがLLのひとに「ガツン」と申し上げたこと - yvsu pron. yasを読んでいろいろ考えたことを書こう。直接的につながっている話でもないけれど。
変数やらの型、ほか言語の課す合理的な制約に強い憎しみを覚える人々がたまにいて、曰く:
- "strongly typed(強い型付け)"は
- プログラマーの可能性を殺す檻
- 人の精神の自由を冒す悪
- B&D(Bondage and Dicipline)
- 馬鹿を飼いならすために作られたシステム
- 統治者から小市民に与えられた施し
(※あくまでイメージです)
ただ、これはまさしく事実の側面の一部でしかないのであり、言語の制約への批判にこれらの意見しか含まれていないとすると、教養と少々思いやりのある人々をげんなりさせるには十分な威力があると思う。*1
型が邪魔にしか思えない人は、まずEclipseを十分に使ってみよう!(ショートカットキーは絶対に覚えてね!)
*1:でも、大抵は『制約に従うメリットはもちろんあるが、費用対効果が少ない』という費用対効果の高いナンセンスをちりばめてあったりするかもしれない。