時空凍結詭弁

世の中には色々な主張があるが、だいたいの主張に欠けがちなのがコンテキストに対する配慮だ。コンテキストが変われば、主張の正しさも変化してしまう。地球上で起こる物理法則が、ブラックホールでは三毛定理に摩り替わるように。

要するに、多くの主張は時空についてのパラメータが抜けていることが多く*1、その結果、時空を欠いた主張はどこまでも誰かの議論の種になったり(こういう議論は自己満足以外の意味を持たないのが普通)、誤解を大量に振りまいたり、とにかくよくないことを起こす。

このような主張は時空凍結詭弁と呼ぼう。私が勝手に命名

(似たようなものとして、人間の心のダイナミズムを無視した、『ヒューマニズムは論理機械詭弁』、『日本語は人間の脳みその物理法則を端的に全て記述詭弁』、というのがある。裁判とか推理ものでよく使われる詭弁である。)

逆に言えば

ある主張がコンテキストによって、成り立つか成り立たないかが変わるのだとして、それは逆に言えば、コンテキストによって成り立つ事象が根本的に異なるということになる。

たとえば、道徳がそういうものに近い。時代の常識、科学、経済などで道徳はいとも簡単に変化しうるものだと思われる。

人間の人生に深く影を落とす今日の金銭文化は、人間が主に紙幣作成技術に今程度に長けていたから生まれるもので、そんなものが人生に深く影響を与えているとは思わないから、自分の価値観がどのような成立背景にあるのかよくわからないまま「ある主張A」を述べ、それが真理だと思い込んでしまう。

時代時代、場所場所によって正しい主張はころころ変わってもいくものだと思ってよい。

*1:だから、このような主張を聞いたときは、あなたはパラメータ補完をしてやらなければならない。場所=主張者がいる場所、時間=主張者がいた時間というように。