気分が鬱のときは、その『理論』を止めて
ある程度気分が鬱になったら、自分の心の中にある、
- 道徳観や倫理、義務感
- (こうあるべきだという)理論
- (こうしたいという)理想や計画
は一度全停止させたほうがいい気がする。もちろん内省的になるのも禁止。←POINTだよ!
CPUやらが弱ってるのに、多数のバックグラウンドサービスがしゃしゃり出てパイを奪い合ってフリーズ状態になってもしょうがないと思います。
トラックバックの記事(なんとなく最近不調かな、と思ったら気をつけること)の内容については、まだやり返す元気があるときに実践するにはいいかもしれない。それだけ義務感にあふれた内容に思える。 ⇒ ちょっと言いすぎかな。人によってはちょうどいいかも。
何もする気がなくなったら、本当に、全部、やめてしまったほうがいいと思うの。*1
心が丈夫な人って、何も考えてないんじゃないの?ようするにからっぽなんじゃないの?
心が丈夫な人は何が違うんだろう?
心が丈夫な人は、きっと頭を使う回数が少ないんじゃないかなあ、と思う。基本的に頭がカラッポなんじゃないかと。
鬱の人のように、日常の1動作1動作に内政的な思考をめぐらせる、なんてことはしないはず。必要なときだけ頭を使ってるんだと思う。
私みたいな考えすぎ鬱のタイプの人は、心をからっぽにして、風通しのいいところに干しておこう。
からっぽのほうが却って見えてくる心の景色があるはず。
心が丈夫な人は動じない、といわれているけど、頭が空っぽだから動じようが無い
心が丈夫な人は動じない、といわれているけど、周りにいくら心を揺さぶられても中身が空っぽだから、ぜんぜん平気っていう免震構造の持ち主なんじゃないのかな、と思います。
鬱の人は周りに揺さぶられたら揺さぶられただけ全力対応しちゃうからクタクタになっちゃうけど、心が丈夫な人はぜーんぶ受け流しって感じかな。
ま、要するに人間心が適当なほうが丈夫で長生き、お得なのよ。きっと。
*1:仕事も含めて、すぐにやめられたらいいんですけどね。