法律は道徳なのか

最近、よく思うこと。多分数億人は既に考えた問題。法律は道徳観なのか。法律に違反することは悪徳なのか。

もちろん違うに決まっている。法律は法律である。道徳は道徳である。全ては脳のシナプスである。文字である。運用である。世の中である。現実である。語られうるものである。ケツの穴である。

ただ、現実的には法律が道徳と混同されているなあとは思う。

たとえば、ロリ・ショタとの淫行は悪徳なのか。悪徳だとすれば、その理由は法律(条例)がそれをダメと裁いているからなのか。

断じて言うが、私が性交したいわけではない。

(ああ、法律が小さい子との淫行を禁止にしたから、私がわざわざ背徳者じゃなきゃいけない、って断りをかかなきゃいけなくなったよ!)

最近よく国家資格系の本を開いたりして読んでいるが、ほんっとーにいろいろ法律があるもんだと思う。会社法なんて979条まであるよ!

たくさん法律があるけれども、こういう法律を道徳観と捉え、それによって自分の心に檻を設けるのは良くない生き方だ。

私なんかwikipedia:関税定率法とか、読んでいて、輸入取引における債務履行にまで関税かけるとかめつい法律だなあ、と思ったし、それは間違いないと思ってる。ああ、もちろんそれらしい理由が関税定率法とやらにあるのは知ってるよ*1
でもこれは法律であって道徳じゃない。関税はルールであって道徳じゃないような気がたくさんする。きっとそれは正しい。

  • 『あなたの会社にいつも遅刻してくる人がいたとする。定時に来ないことはルール違反だ。しかし果たしてそれは悪徳なのか。』
  • 著作権を違反したものがいる。それは鬼畜ともいえる悪徳なのか。』

道徳の探し方

歴史タイプ
よくないとされているのだから、よくないに決まっている。
常識タイプ
よくないだろう。常考
DNSタイプ
周りがよくないといっている、よくないとしておこう。
自然回帰タイプ
人間は本来自然の中でどうやって生きてきたか考え、それに従っていれば道徳と看做し、違っていれば、それは近代人間によって勝手に作られたルールであるからして、道徳ではない、まがいもの。
ルールこそ全て
ルールは人と人が互いに尊重しあい、ただ、それでも個々人が自由に生きるための最低限の責任を定めている。これに従わないものは人間社会を乱す悪徳である。
生死にかかわるなら問題ないタイプ
生きるためなら、どのようなことをしても正当化される。
犯罪者タイプ
あの時はああするしかなかった。私が正しかった。ああしてもしょうがなかった。信じてくれ。分かったらこの檻を開けてくれ。
ルールから道徳を考えるタイプ
ルールがこうなっているということは、道徳的に合理的な理由があるはずだ。
トイレタイプ
はー  やっとウンコでたあ。スッキリした。 ウンコできたし、道徳なんてどうでもいいよ。

*1:ある輸入取引に関して、債務の支払いがなければその取引が成立しなかったと看做せるため。とか、別の輸入取引の分の金額を含んでいる可能性があるとか。