「生きる目的」とか「存在する理由」とか、ああいったものについて
- 生存理由
- 存在理由
- 働く理由
- 動機
- 文章化された精神状態
こういった言葉を含んだ文章を見るにつけ、私は「ああ、きっとこれはくだらないこと考えた文章に違いない」と判別し始める。
文章のナンセンスレベルとしては歴史のifを考えるよりちょっと下ぐらい。
便器に落としたウンコに動機があるのか、朝立ちする性器に明確な精神状態があるのか、物理法則の変数一覧に存在理由という項目があるのか。どうもこういう言葉を使って物事を考えていると、本人はきちんと考えているつもりだけど、実はぜんぜん考えていなかった、という文章を量産できる気がする。
なんか生存理由とか、人類のDNAには法律書でもあるのだろうか。
人が、お母さんにでもなると、「私が生きるのは息子のため」とかになるんだろうか。この法律書は後付でもOKなんだろうか。
多分ここらへんのルールを求めたがるのは、やはり人間の生理的な欲求に違いない。
あまり形式化された人の精神ばかり扱うと、生ものの精神というのが分からなくなると思う。
"はっきりと言葉に表すことの出来る事柄はあまりにも少ない"